2013年02月18日
涙の勘違い
風も強いし小雨だったから可哀想だなあと思い、娘を迎えに車で走った。けっこう近くまで歩いて来ている所を発見してゲット。
寒い中を歩いたから機嫌悪いかなあと思ったら、なぜかニコニコしている。
車に乗って開口一番
「ヒロユキ兄のお墓参りに行って来たよ。道ばたのお花を摘んでいったよ。家族の事をお祈りしたよ」
えっ?
一人で??
この雨の中???
なんて優しい子なんだろうと涙が出そうになった。いや、出た
そして家に帰って来ても余韻にひたりながら、お墓参りの話しをしていると、どうも食い違いがある事に気づいた
何か変だ
そこは○○家一族のお墓だから、全員○○家である。
しかしどうやら娘は、隣の墓石の前でお参りをしていたようだ。お花も,,,,,,,,,
しかも、この日だけでなく、この一年間ずっと,,,,,,,,,,,
一緒に行った事があるのに、どこでどう勘違いしてしまったのでしょうか〜。
そのお墓の全体図まで描いて説明してくれたけど、やはり間違ってる
泣き出す娘
どうしよ〜〜。ヒロユキ兄は怒ってるかなあと落ち込みまくり
大丈夫よ。隣やから大丈夫。
と意味不明な励まし。
「まりん、アホやなあ、こっちだよ」って笑いながら見てるって。
それに、みんな同じ○○家だから親戚だし大丈夫。その人もちゃんと報告してくれてるって。
と言うしか無かった。
寒い中を歩いたから機嫌悪いかなあと思ったら、なぜかニコニコしている。
車に乗って開口一番
「ヒロユキ兄のお墓参りに行って来たよ。道ばたのお花を摘んでいったよ。家族の事をお祈りしたよ」
えっ?
一人で??
この雨の中???
なんて優しい子なんだろうと涙が出そうになった。いや、出た

そして家に帰って来ても余韻にひたりながら、お墓参りの話しをしていると、どうも食い違いがある事に気づいた

何か変だ

そこは○○家一族のお墓だから、全員○○家である。
しかしどうやら娘は、隣の墓石の前でお参りをしていたようだ。お花も,,,,,,,,,
しかも、この日だけでなく、この一年間ずっと,,,,,,,,,,,

一緒に行った事があるのに、どこでどう勘違いしてしまったのでしょうか〜。
そのお墓の全体図まで描いて説明してくれたけど、やはり間違ってる

泣き出す娘

どうしよ〜〜。ヒロユキ兄は怒ってるかなあと落ち込みまくり

大丈夫よ。隣やから大丈夫。
と意味不明な励まし。
「まりん、アホやなあ、こっちだよ」って笑いながら見てるって。
それに、みんな同じ○○家だから親戚だし大丈夫。その人もちゃんと報告してくれてるって。
と言うしか無かった。
2013年02月10日
小さな親切に感謝
名瀬で陸上の練習が終わり、自動販売機でカロリーメイトを買おうと小銭を握りしめて嬉しそうに走って行った娘。
販売機の前でゴチャゴチャやっていた。
200円が吸い込まれたまま商品もお金も出て来なかった
記載されている業者に電話をするも、休日なのでお休み。
電話番号をメモして帰りました。
「ママ。どうするの〜〜?」
「電話して返金してもらうよ」
「ちゃんと信じてくれるかなあ,,,,,,,,,,,,」
な〜るほど。
200円が戻ってくるかどうかの不安より、信じてもらえるかどうかを心配してました。
月曜日、私はすっかり電話するの忘れてました。学校から帰宅した娘は開口一番、どうなった?
火曜日に業者に電話したら、もちろん疑うこともなく丁寧な応対。
全く急ぎませんからと言ったのに、すぐにでっかいトラックに乗って200円を持ってきて下さいました。
ガソリン代の方が高くついたでしょう。
ありがとうございました
あなたにお小遣いであげるから金庫 (娘はとてつもなく時代遅れの手提げ金庫を持ってます)に入れときなはれと娘に200円を渡しました。
別にウソを言ってるわけではないので、ちゃんと事情を話せば相手に伝わるんだよという事を娘にわかってもらえて良かった。
当たり前の事だけど親切に感謝
そうそう、昨年、物忘れがひどくなった私はダウンジャケットが行方不明に。
私の行動範囲なんて狭いもんで、立ち寄ったであろう場所に忘れ物が無いかを尋ね回った。
その時は無かったけど、それから何週間もして電話がかかってきた。
町駅伝の時に中央公民館の庭に置いたままだったらしい。
「何故、私のジャケットってわかりました?」と聞くと、ポケットの中から娘の名前が書いたゼッケンが出てきたようだ。
うん。間違いなく私のである。
しかし私の電話番号が何故わかったのか。
しかも、1ケ月半もの空白の時間,,,,,,,,,,,,
謎は残るが、親切に感謝である。
みんな優しいです
販売機の前でゴチャゴチャやっていた。
200円が吸い込まれたまま商品もお金も出て来なかった

記載されている業者に電話をするも、休日なのでお休み。
電話番号をメモして帰りました。
「ママ。どうするの〜〜?」
「電話して返金してもらうよ」
「ちゃんと信じてくれるかなあ,,,,,,,,,,,,」
な〜るほど。
200円が戻ってくるかどうかの不安より、信じてもらえるかどうかを心配してました。
月曜日、私はすっかり電話するの忘れてました。学校から帰宅した娘は開口一番、どうなった?
火曜日に業者に電話したら、もちろん疑うこともなく丁寧な応対。
全く急ぎませんからと言ったのに、すぐにでっかいトラックに乗って200円を持ってきて下さいました。
ガソリン代の方が高くついたでしょう。
ありがとうございました

あなたにお小遣いであげるから金庫 (娘はとてつもなく時代遅れの手提げ金庫を持ってます)に入れときなはれと娘に200円を渡しました。
別にウソを言ってるわけではないので、ちゃんと事情を話せば相手に伝わるんだよという事を娘にわかってもらえて良かった。
当たり前の事だけど親切に感謝

そうそう、昨年、物忘れがひどくなった私はダウンジャケットが行方不明に。
私の行動範囲なんて狭いもんで、立ち寄ったであろう場所に忘れ物が無いかを尋ね回った。
その時は無かったけど、それから何週間もして電話がかかってきた。
町駅伝の時に中央公民館の庭に置いたままだったらしい。
「何故、私のジャケットってわかりました?」と聞くと、ポケットの中から娘の名前が書いたゼッケンが出てきたようだ。
うん。間違いなく私のである。
しかし私の電話番号が何故わかったのか。
しかも、1ケ月半もの空白の時間,,,,,,,,,,,,
謎は残るが、親切に感謝である。
みんな優しいです

2013年02月04日
マリア様になった友
昨日、奄美桜マラソンがありました。練習不足の娘は不安そうな顔で始まる前まで暗い顔。
2年前だったか、私は大好きなその友達に連絡しました。
ご夫婦でマラソンされるので「桜マラソンに出ない?」と。
残念ながら、他のマラソン大会と重なるので来れませんでしたが、いつか絶対に走りに行くからね〜という事でした。
そのお友達は、ご主人の誕生日に洗礼を受けマリア様となり、数日後、ご主人のお母様の命日に天国に召され、そして彼女の50才の誕生日が悲しくも告別式になってしまいました。
走る前の娘に「マリア様になったお姉ちゃんが一緒に走ってくれるわ」と言うと「本当に一緒に走ってくれるかなあ」と急に元気なステキな笑顔になりました。
そして最後まで頑張って走り、入賞は無理でしたが、女子409人中の10位 14分49秒と自己記録が出ました。
入院している時にお見舞いに行きたかったけど、なかなか時間も作れず心残りのまま悲しいお知らせを受け、お通夜だという日の朝もモヤモヤした気持ちもまま普通に娘を学校に見送りましたが、やはり自分の気持ちを押さえる事もできず,,,,,,,,,,,,
30分で用意して飛行機に飛び乗りました。
何年ぶりかに会うお友達と合流して神戸の教会へ。
賛美歌を歌って彼女にお別れを言いました。
「来るのが遅くなってごめんね」とお顔に触れて語りかけました。
白いカサブランカに包まれた寝顔は女神のような美しさでした。
やさしいお顔のまま、彼女は天国へいっちゃいました。
ご主人は彼女の事を「妻は私の太陽でした」と言いました。
彼女は私たちにとっても太陽のような存在でした。
司祭様が御ミサで、死は恐れ悲しむものではない。
永遠の命を得て神の御許で限りなく幸福を与えられるのですとおっしゃってました。
私たちの太陽は、50才のお誕生日に永遠の命に生まれ変わりました。
そう、やはり昨日の桜マラソンはとても良い天気。
太陽いっぱいの中、娘は走りました。
きっと一緒に走ってくれたんだと思います。
いつか会いましょう!!
それまでは私たちを見守っててね。

2年前だったか、私は大好きなその友達に連絡しました。
ご夫婦でマラソンされるので「桜マラソンに出ない?」と。
残念ながら、他のマラソン大会と重なるので来れませんでしたが、いつか絶対に走りに行くからね〜という事でした。
そのお友達は、ご主人の誕生日に洗礼を受けマリア様となり、数日後、ご主人のお母様の命日に天国に召され、そして彼女の50才の誕生日が悲しくも告別式になってしまいました。
走る前の娘に「マリア様になったお姉ちゃんが一緒に走ってくれるわ」と言うと「本当に一緒に走ってくれるかなあ」と急に元気なステキな笑顔になりました。
そして最後まで頑張って走り、入賞は無理でしたが、女子409人中の10位 14分49秒と自己記録が出ました。
入院している時にお見舞いに行きたかったけど、なかなか時間も作れず心残りのまま悲しいお知らせを受け、お通夜だという日の朝もモヤモヤした気持ちもまま普通に娘を学校に見送りましたが、やはり自分の気持ちを押さえる事もできず,,,,,,,,,,,,
30分で用意して飛行機に飛び乗りました。
何年ぶりかに会うお友達と合流して神戸の教会へ。
賛美歌を歌って彼女にお別れを言いました。
「来るのが遅くなってごめんね」とお顔に触れて語りかけました。
白いカサブランカに包まれた寝顔は女神のような美しさでした。
やさしいお顔のまま、彼女は天国へいっちゃいました。
ご主人は彼女の事を「妻は私の太陽でした」と言いました。
彼女は私たちにとっても太陽のような存在でした。
司祭様が御ミサで、死は恐れ悲しむものではない。
永遠の命を得て神の御許で限りなく幸福を与えられるのですとおっしゃってました。
私たちの太陽は、50才のお誕生日に永遠の命に生まれ変わりました。
そう、やはり昨日の桜マラソンはとても良い天気。
太陽いっぱいの中、娘は走りました。
きっと一緒に走ってくれたんだと思います。
いつか会いましょう!!
それまでは私たちを見守っててね。
